2013年5月28日火曜日

NHK あさイチの 「どう付き合う?イマドキPTA」を見て-その3-

NHK あさイチの 「どう付き合う?イマドキPTA」を見て-その3-
文中の注はボクが記入。時間の表記は放映された時間。

ストーリー:ご主人がリストラにあった吉田さん(仮称)はフルタイムで働きに出るようになった。
(この辺りから、再現フィルムが放映される。)
PTA役員の選択書類が配られたが、それは何某かの役(委員)をやるよう○印を入れる用紙で、ご丁寧に「×はありません」と書いてあった。吉田さんは「役ができない理由を手紙に書いてPTA役員に渡したが、クラス全員の前でその手紙を読まれた」(注:プライバシーの侵害。不法行為。)

(PTA役員と思われる女性が叫ぶ):
「PTAは全員参加です。いかなる理由も(役員や委員を)断る理由にはなりません!」
(吉田さんのコメント):「PTAの事情が何よりも優先させられる」

PTAを辞めたいと言ったら、学校のPTA担当教師から電話がかかってきた。それは「耳を疑うような内容(byNHK)だった。」
「うちのPTAは全員、自動加入がルール。もし辞めたら、お子さんは集団登校の班にも入れません。行事のときの記念品やプレゼントも渡せませんからね。PTAに入らないなんて親としてどうかと思いますよ。」(08:51)

吉田さん「子どもがかわいそうですよと、言い方は優しんですけど、結局、内容は脅しなんです。」「怖いというか、嫌になっちゃった。これ以上、学校に係りたくないという感じになっちゃった。」

ここで、加藤教授による解説が入る。(08:52)
PTAは任意加入の団体、法律的に参加を義務づけられているものではまったくない
・「やりたい人が やるもの」(注:できるどうかを他人が判断するのではない!)
・「あなたは役を1回はやりなさいと押し付けられるものではなく、そのようなことがあってはならない」
・現:文科省が各都道府県教育委員会に出した「PTA参考規約」が紹介される。「入会自由の精神」「(入退会に際して)いささかも強制があってはならない」
・3年前、文科省はPTAが任意団体であることを(再度)示した内容の文書を配布した。
「PTA自体が悪いわけではないけれど、時代に合わななくなってきている面がある。

(水道橋博士)「これ、全然、知らなかったですね。」

(08:57)PTAの会費負担について:非会員は会費を払ってないけど・・・どうなんだ?という趣旨の質問に対して、今野元文科省PTA担当が的確な解説をなさった。
「会員でなければ会費払いませんよね。だけど、PTAは自分の子どものためではなく、子ども全体のためにやるものですから、親が入っているからどうかは別に、きちんと、子ども全体のために分け隔てなくやるというのが前提です。」

(09:12)入退会自由を2年前から表明している岡山県の西小学校PTA(生徒数1300人)の模様が紹介される。

PTA会長「まずご自分の仕事、子どもたちのことが第一であって、無理なく「今年は1回しか行けなかった」そんなことは全然気にせずに、できるときに来ていただいて、できることをしていただいたら結構です(笑顔)。」

又野尚(漫画家)「すごく羨ましい気持ちになりました。」「じゃぁ、自分の学校に合うかどうかは、私にはわからない。」(それはどういうところですか)「こんなにボランティアの方があつまるか・・・一部の方に集中して、多分、やっちゃうんじゃないかな。これ幸いに、来なくなる人も、結構、うちの学校・・・あるんじゃないかなぁという気がする。」

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ボクの感想:上記は、PTA本来の入退会自由な任意団体という最初のボタンをどのように掛けているかによって生じる悪い例と良い例をを対比させているのだと感じた。

1)強制・自動・全員加入など、入退会自由を説明せず、本人の意思確認をしていない場合
 =>基本的人権、自由権や個人の尊厳を無視することから始まっている
 =>PTA組織の理論が最優先で、組織を守るため委員・役員を強制割り当て
 =>個々人の事情を無視。いかなる理由も(役員や委員を)断る理由にはなりません!
 =>もしくは、個々人の事情を、他人が判断する。
    (プライバシーの公開を強要したり、欠席裁判的手法、くじ引き等)
 =>奉仕の強制。子どもとの時間を搾取。ストレスや疾病の発生
 =>割り当てられた者とそうでない者の間に「不公平感」の発生と助長
 =>受動的活動で組織の不活化。=>更なる締め付けの強化。ポイント制導入など。
 =>逃がさない。逃げる者には子どもを人質に差別。脅迫。
 =>憲法、諸法に違反、抵触していること多い。後ろめたさがつきまとう。
 =>それらを助長、看過している学校(教育行政)への不信。
 =>毎年毎年・・・役員の希望者が更にいなくなる。自縄自縛。
 =>毎年、続けてやりたいとは思わない。役員が入れ替わる。素人運営の弊害。
   ただし、教職員は毎年同じ役員に入っているが、PTA改革に尽力しない。
   学校管理職や教職員はPTAの人権侵害を容認している。軍国主義を目指している?

2)入退会自由を表明し、希望者が希望することを行うPTAの場合。
 =>基本的人権を尊重することから始まっている
 =>個人と子ども、家庭や仕事を優先。PTAの組織維持や強化は二の次。
 =>個々の事情を重視。希望する人がやる。いかなるできない理由も申し出る必要もない。
 =>自ら希望した人が活動するので、不公平感が生じない。または増大しない。
 =>能動的活動で組織が活性化。
 =>逃げ道が用意されている。「入退会自由」。役員の言動も優しくなる。
 =>憲法、諸法に抵触しない。社会規範を遵守できていて気持がいい。
 =>入退会自由を表明しても、加入率94%。

このような対比がなされているのではないかと思った。感情論をできるだけ排して、PTAの過去からの慣習に基づく制度やシステムというものを対比するとよく分かるのではないかなぁと感じた。

そして、又野さんのコメントは、制度的なことではなく、感情的というか、感覚的な内容を示していてタイヘン面白いなぁと思った。又野さんの学校で入退会自由にすると、こんなにボランティアが集まるかどうか不安なのだ。そりゃぁ、それまで強制的に奉仕をさせていたので、自由にすると誰も集まらなくなるのではという不安につながるだろう。でも、一部の人に集中すると仰っているので、誰かやりたい人たちがいるだろうことも示唆されている。

ここでは保護者が、
(A)ボランティアに参加するだろうなぁと思われる保護者グループ と
(B)「これ幸いに、来なくなる人も、結構、あるんじゃないかなぁという気がする」グループ
に分けられるのだが、では、個人個人を思い浮かべているのかなぁというのが疑問。

あの人は絶対(B)。あの人の旦那さんは(A)。いつも文句ばかりいっているあの人は絶対(B)ね。などとなるのだろうか(^^; 漠然とABのグループ分けを論じるのは聞き流してしまうが、改めてコメントを聞くと、具体的調査に基づいてのグループ分けではなく、ただ漠然と保護者の善意を独断で測っているにすぎないのだろうと感じる。

(A)と思われた人はいいかもしれないが、自分はボランティアに行くつもりなのに(B)と思われた人にはタイヘン失礼な話しだ。名誉棄損かも(^^; 
このような分析というか、考察めいたものが正しいかどうかは分からないが、多分、上記(1)の強制加入のPTAが(2)の入退会自由に踏みきれない理由の一つが、又野さんのコメントにあるような気がする。すなわち、会員数が激減するんじゃないか、組織が崩壊するのではという漠然とした恐れ。

もし入退会自由にして、組織が崩壊するようなことになったら、それはそれで、「民意」なんだからいいんじゃないかな。それまで、当該PTAがろくな活動をしてこなかったという証左になろう。
それが分かっているからこそ、入退会自由なんて宣言できないのも大きな理由だろうけど。

世の中にはPTAの無い学校だっていっぱいある。PTAがなくなっても、必要な活動には保護者が賛同し集まると思う。ボクは、保護者のほとんど全員は(A)だと思う、そう信じている。
そのボランティア精神を阻害しているのが、奉仕の強制システムなんだと思う。

付記:

阪神・淡路大震災を機にNPO法が成立し、実に多くのNPO団体が法人格を得ている。法人格を得てはいないボランティア団体も沢山ある。世の中では多くの人々がそのような団体を通してボランティア活動をしている時代になった。自ら望んで、自腹で、なおかつ、現地の人々/社会のために奉仕活動をする体験を持っている人が多くなってきている。NPO法人とPTAの対比をしてみるのも考察の方法かもしれない。

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